「加害者」「被害者」と分けて書いてはおりますが…
実はこういう分け方って本当はどうなのかな?と
ずっと思っています。
加害性と被害性は混在するもの
そもそも、DVやモラハラに限らず
人間関係における加害・被害とは、100対0に切り分ける事が
非常に難しいんですよね。
法でジャッジすると、100:0になる場合もあるのですが
本質的に見ていくと、かならずしもそうではないことは
無意識的に体感されている方もいらっしゃるかと思います。
というのは、加害者とみられる人にも被害者的な側面を内包していたり
その逆、被害者とされる人も、加害者性を秘めていることは
実はよくあることです。
人は、問題が起きた時に被害者になりたがる
さて、人は対立的な問題が起きた時に
自身を守るために被害者になりたがる傾向があります。
この辺りの事は、前回のワークでのお昼だったかな?
にそんな話題が出て、ピンときた体験がありました。
ワークについてはこちらからどうぞ。
DV・モラハラの加害者・被害者・男性も女性も一同に集まる2月のワーク
先週は、毎度の月一東京ワークに参加してきました。 今回も朝から晩まで、本当に得られるものの多い一日でした。 また、バレンタインデーということで カウンセラー・ファシリの …
「人は被害者になりたがるんだよね、だってその方がみんな守ってくれるから」
といった感じだったでしょうか。
なるほどと思いました。
世間でよく言われるDV・モラハラ加害者も
自分を被害者だと言い張って云々…
という話や記述をよく見かけます。
良い悪いはさておき、事実そういうことはあるかと思います。
仮に被害者が加害者性を秘めていたとしても
なかなかそれを自分で認めることは難しいですよね。
被害者・加害者というよりは「当事者」として
こうして、被害者として自分を守る事に腐心しても
なかなか問題の解決には至らないんですよね。残念ながら。
被害者として全肯定され
行政なり女性団体なり、企業なり…に流されるだけでは
また同じ問題に、知らず無意識のうちにぶつかってしまう事があるでしょう。
よくある例としては
DV・モラハラ夫を懲らしめて、離婚したと思ったら
また別のDV・モラハラ夫と結婚してしまい、しんどい思いをする…という話
被害者の加害性や、それ以外にも内包していたであろう問題に
向き合う機会が無かったゆえの、暴力の再生産という結果になることが
よく見られます。
そういう状況はとてもしんどいと思います。
もし「当事者」として自身の問題に向き合うことができれば…
と思うこともしばしばです。
良い悪い・善悪や加害者被害者…というラベリングやレッテルにとらわれず
あくまで1「当事者」として考えて、自分に向き合うという事を
意識できれば…と自戒も込めてしたためてみました。
結局はだいたいの問題というのは、自分の捉え方一つだったり
受け取り方、自分の世界の構築方法でいかようにでも変えられるんですよね。
自分の世界を変えるのは自分自身なんですね。